完成:『生活支援アプリケーション「オレのヨメ」』


生活支援アプリケーション「オレのヨメ」

 

タイトル:生活支援アプリケーション「オレのヨメ」

作品時間:10分43秒

使用機種・使用ソフト:CLIP STUDIO PAINT EX

           AfterEffects
制作期間:1年4か月

 

 AIが人間を管理するというテーマは、サイエンスフィクションの世界で長く愛されてきたもののひとつです。しかし、現代においても、私たちは人ではない何かに誘導されて日々を送っているものです。

『生活支援アプリケーション「オレのヨメ」』は、現実に存在する「人が無意識に従っている日常の風景」をテーマに創作しました。

 本作に登場する「オレのヨメ」は、ユーザーが健康的且つ理想的な人物になれるように、さまざまな指示を出してきます。休みの日でも7時に起こし、一日の過ごし方を決め、食事は栄養バランスを考えて選んでくれる。ただ指導するだけではなく、ユーザーを第一に考えて、その人に合わせた一日を作ってくれているそれらには善意しかありません。

 しかし、指導に従わなくなると、耳障りな機械音を出し、いつまでも消えない警告メッセージを上げ、「オレのヨメ」は露骨に拗ねた態度をとります。最終的に、ユーザーは「オレのヨメ」からの指導に従う選択をし、それの存在理由を再認識させられました。

 現代にも、安全や健康を維持させるために、ユーザーをあえて不快にさせる様な機能を備えたものがあります。例えば、車のシートをつけないといつまでも警告音や特定のランプが点滅し続ける、といったものがそれです。確かに、シートをつけるのは運転手や同じく乗車している人々の命を守る大切な行動です。警告音やランプが作動してくれたおかげで、一人ひとり確認する手間も無くなります。

 とはいえ、どうしてもシートをつけることが出来ない場合があったら、その機能は善意から鬱陶しいものに感じてしまいます。擬人化して例えるなら、「これが正しいことなんだからやりなよ」「早くしなよ」「やって当たり前なんだよ」と一方的に言葉を掛けられている状態でしょう。

「オレのヨメ」は、あくまでユーザーのために指導していますが、やっていることは決定権の剥奪です。休みの日はだらけていたいという希望を出しても聞き流し、散歩していても説教を繰り返し、ファストフードを目にすれば偏見の様な説明文を表示する。ユーザーはそれを受け続けるだけです。

 本作が一人称で作られているのは、視聴者が「オレのヨメ」の善意に対して独自の感情を抱き易くするためです。つまり、カメラ役は視聴者で、「オレのヨメ」はその人らに向けて指導をしているのです。「オレのヨメ」が一方的に話している状態であるのも、視聴者と作品内のユーザーが同一人物であることを表現するために、こうなりました。

 “AI”による管理社会は起こり得るフィクションに留まっておりますが、それを“機械”に置き替えると、至る所で誘導をされていると感じます。それが不快感から逃れるために従っているのならば、生活を「支援」しているのではなく「強制」していることになるのではないか。

 そんな気がします。